アルバイト講師をしている時、心のこもった保護者の一言が、
人生の方向を変えるほどの気づきを与えた。
建設コンサルタントの仕事をしている時、最大の達成感が、
工学と教育の共通点を生み出した。
日本社会に大ショックを与えたあのニュースが、
私の心に火を放った。
アルバイト講師をしている時、心のこもった保護者の一言が、
人生の方向を変えるほどの気づきを与えた。
建設コンサルタントの仕事をしている時、最大の達成感が、
工学と教育の共通点を生み出した。
日本社会に大ショックを与えたあのニュースが、
私の心に火を放った。
大学生になると、友達からの紹介により、集団授業を行う学習塾でアルバイト講師を始めた。
あの事件が起こったのは、アルバイト講師を始めて3年が経過した、冷たい雨の降る夜だった。
職員室でバイト仲間と楽しく話をしていた時だ。
塾長が入ってきた。
「来月から、高校生の指導も行うことになった。
三輪君に指導をお願いしようと思うが、どうだ?」
「私で良いんですか?」
少し驚いたが、担当していた中学生のクラスでは、順調にみんなの成績が上がっていたので、その時は自信を持って返事をした。
ところが、研修はなく、教材や進め方は私に任せると塾長は言うのだ。
この時、私の顔は強張った。
何の教材を使えば良いのか?
中学生の授業と同じようにすれば良いのか?
不安が私を襲って来て、その夜はあまり眠れなかった。
その翌日、私の部屋にある本棚から英語の参考書を探していると、高校生の時に使っていた実況中継シリーズの背表紙が見えた。
それを使っても良いと塾長から了承を得たので、高校生の授業が開始されるまでの間、万全の準備を行った。
そして、高校生の授業日を迎えた。
ところが、授業を始めてみると、いつも感じている手応えがない。
そして、生徒の顔を見ると、彼らの目が冷たい。
「ダメか、、、、、、。」
授業が終わった後、自信が粉々に砕け散った。
翌日、大学の授業が終わった後、
誰に相談すれば良いのか分からなかったので、ワラをもつかむ思いで、本屋へ向かった。
丁寧に本のタイトルを見ながら、本棚の前を歩いていると、ピタッと足が止まった。
「船井幸雄 自己改造法」
私はすぐにその本を購入し、帰宅するとフワフワのソファーに腰かけて、その本を読み始めた。
カラカラに乾いた砂に大量の雨が染み込むように、
船井幸雄さんの言葉を吸収し、夢中になって読み続けた。
P178に書かれていた言葉が胸に刺さる。
「世の中、すべて『必然』だ。」
この時、父の言っていたことを思い出した。
「好きこそものの上手なれ。」
「あっ! 私が高校生の時、
自分が好きなことを探し出すと、勉強する目標が明確になり、成績がUPしたよな。」
そこで、私は仮説を立ててみた。
部活では、試合やコンクールで自己表現の結果が評価されるから、それに向けてやる気が出る。
しかし、勉強は自己表現ではないから、やる気がでない。
勉強は、将来に自己表現するための道具だ。
このことを感じるように高校生に伝えれば、やる気が出るかもしれない。
つまり、今している勉強が、将来どのように役に立つのかを高校生に伝えれば、理解の吸収力が高まり、授業が分かりやすくなるかもしれないと。
早速、次回の授業の時から、今習っている内容が将来どのように役立つのかイメージができるように、様々な視点からの話を織り交ぜた。
ある日、塾長が保護者の方に連絡をして、
急遽、塾長の自宅で保護者と食事会が催された。
開始して30分ぐらい経った頃、斜め前に座っていた保護者と目が合った。
すると、彼女は笑顔になって、このようなことを話し始めた。
「はじめまして、三輪先生。入塾する前、うちの息子は、勉強は面倒くさいとか言って、ゲームばっかりしていたんですよ。なのに、三輪先生の授業を受けてから、勉強するようになったんです。興味の湧く話をしてくれて、授業が分かりやすくて、問題に正解できることが楽しいって。息子からこの言葉を聞いた時は、嬉しくて、嬉しくて、、、、。いつも有難うございます。」
心に込み上げくる、この温かい気持ちは一体?
「塾講師は天職かな?」と思った瞬間だった。
部活は今の自分を磨き、
勉強は未来の自分を磨くのである。
大学院2回生の時に、高校生の時に憧れていた設計士になるため、建設コンサルタントに就職先として選んだ。
同じ頃、研究室の友達が就職先を探していた。
彼が1部上場企業に勤めているOBと電話をしていた時の何気ない会話が、私の心に突き刺さった。
それは「京都大学を卒業した先輩が、大した仕事でもないのに、そのストレスに耐えられず、出社してこない。だから、高卒の後輩が高学歴の先輩の家に行って、『○○さん、会社へ来てくださいよ』と自宅を訪問している」という話だった。
とても驚いたと同時に、次のことを悟った。
勉強だけが、できてもダメだ。
生きる力を育てることも重要だ。
私が創る学習塾は、勉強に興味を持たせるだけではなく、
社会の厳しさの中でも生きていける教育もする。
なぜなら、優秀な人才が社会に潰されてしまうから。
これは、日本にとって、大きな損失になる。
では、どのように教育すれば良いのか?
でも、それは学習塾にできる範囲を超えている。
ならば、部活動で起こる拘束や試練が、生きる力を育てていると仮定してみてはどうか?
文部両立ができるように、そのノウハウと時間効率の高い勉強方法を提供すれば、生きる力も育てることができるではないか。
工学修士を取得し、建設コンサルタントになって、5年ほど経つと、土日になっても資格勉強をしたり、自発的に会社に行ったりしても、継続的な努力が苦痛ではなくなっていた。
なぜなら、上司からの指導を受けて、橋梁、地下道そして環境設計に携わり、広い視野で考えられることで、仕事が楽しくなってきたから。
さらに、責任を負うことの心地良さと厳しさを感じられるようになったことも理由だ。
そうなってから、モノを設計する際の重要なポイントが見えてきた。
それは、設計に入る前に行う「現状調査」と「問題分析」である。
それらが曖昧のまま設計に入ると、必ずと言っていいほど、スタートに戻る。貴重な時間を浪費するので、会社の利益が減る。
「現状調査」と「問題分析」を重視して仕事を行っていると、京都大学の教授に貴重な話を聞きに行ったり、最先端技術が詰め込まれた橋梁の設計業務に携われたりした。
そして、社内で過去最大級プロジェクトの担当に抜擢され、所属していたチームが発注者から最も栄誉ある賞を頂いた。
この時の私は、人生で最も大きな達成感、満足感を味わった。
この頃に、教育と工学には、ある共通点があること気づいていた。
それは、結果から原因へ逆算する際、それらの間には途中のステップが存在し、それらは因果関係になっており、数値で評価できるということだ。
つまり、ゴールとスタートを設定し、それらの間にある因果関係になっているステップを見つけ出し、それらを数値で管理する。
そうすれば、高い確率で素晴らしい結果を出せる教育システムが完成する可能性がある。
これが教育工学という発想が生まれた瞬間だった。
2004年頃から、テレビや新聞で「ゆとり教育」の問題を取り上げるニュースが多くなってきた。
OECD(経済協力開発機構)の学習到達度調査(PISA)で日本の順位が落ちた「PISAショック」のことだ。
生徒の学習到達度調査結果(PISA)
2000年 | 2003年 | 2006年 | |
数学的リテラシー | 1位 | 6位 | 10位 |
読解力 | 8位 | 14位 | 15位 |
科学的リテラシー | 2位 | 2位 | 6位 |
また、文科省の現場への丸投げが原因で、学校の先生がどのように生きる力を教育すればいいのか分からず、困り果てているというニュースを見て、私の心は爆発した。
「教える側が混乱しているんだったら、その授業を受けている生徒はどうなる?」
「その結果、日本の順位がドンドン下がっているのか?」
もともと、
日本は借金(対GDP比)はダントツの世界一で、
天然資源はほとんど産出しないし、
世界一の高齢社会で、人口は減少していくのに。
さらに、
お上から理想教育を押し付けられた学校では、将来の日本を担う大切な子供たちに中途半端な教育を続けている。
この状況は、不健全な日本に背中から短剣をさされたように見える。
多量に流血し、止まらなくなる前になんとかしなければ!
このニュースを見て、何も行動せずに、文句だけを言うのは間違っている。
「今すぐ、立ち上がろう!」
この時の日本に迫って来る危機的状況を回避するためには、できる子をエリートに育てるのではなく、子どもたちの底上げが優先だと考えた。
そのために、本来備わっている彼らの可能性を短時間で最大限に開花させたい。
そのために、文部両道を目指す塾を作ろう!
自ら目標を立てて、
自ら工夫をさせよう。
部活は今の自分を磨き、
勉強は未来の自分を磨くのだ。
勉強だけが、できてもダメだ。
生きる力を育てることも重要だ。
文部両立ができるように、そのノウハウと時間効率の高い勉強方法を提供すれば、生きる力も育てることができる。
これらの想いが打ち上げ花火のように天空に舞い上がった。
しかし、これらは簡単なことではない。
言うは易く行うは難し。
だから、必要な指導方法を日々研究し提供し続けよう。
未来を担う子どもたちの安心を育むことが、未来における日本の安心を育むために。
そして、沈みゆく日本の子どもたちを再び栄光へ導く道標を創ろう。
8年間のサラリーマン人生に終止符を打ち、
2006年、この想いを実現するために起業することを決心した。
しかし、会社の課長、部長、社長に退職する旨を伝えると、全員から止められ、「こんなに待遇が良いのに辞める意味が分からないと」言われた。
でも、私の本当の使命を見つけた以上、迷うことなく、志を選んだ。