集団授業のエ〇〇〇ク(当時は学〇〇〇〇ル)の新聞折り込みチラシを見て、
ここに行きたいと父にお願いして、入塾テストを受けに行った。
三者面談で△△先生が、
入塾テストの結果を見ながら
「三輪君は中の中やね」と言った。
その時、私の心の底でグツグツ煮えているのを感じながら、
先生をジロッとにらんだ。
帰り道に
「三輪君は中の中って。そんなん分かっとるわ。腹立つわ」
と父に吠えると、父はニコ~と笑みを浮かべていた。
それから、△△先生を見返すために
自ら目標を立てて、部活も勉強も頑張るようになった。
例えば、以前より、自主的にゲームの時間を減らし、時間効率が良くなり、自制心も強くなっていった。
成績はトントン拍子で上がり始め、
総合選抜の高校入試は問題なく合格した。
高校生になると、
勉強する目的がなくなり、
ダラダラと過ごしていた。
高校2年生の夏休みの頃、
ふと父の言葉が思う浮かんだ。
”好きこそ物の上手なれ”
自分に、質問をした。
「俺って、何が好きなんやろ?」
美術は、自分の思いを表現している感覚が好きで、
数学と物理は、苦しい思いをして正解した時の達成感が心地よかった。
だんだんと、イメージが固まってきた。
世界最長のつり橋、明石と淡路島を結ぶ明石海峡大橋や
駅前の大型ビルのような構造物を設計したいという目標が定まってきたのだ。
そして、勉強は、努力だけでは結果がでないと分かっていたので、
勉強方法を工夫するようにした。
そうすると、物理の偏差値が80を超えて、学年1位を取った。
高校3年生の夏の模試で阪神圏の国立大学でB判定を出したことはあったが、入試は失敗した。
そして、一浪することを選んだ。
その後も、志望していた大学はダメだった。
立命館大学には受かったが、
学費の安い国立の岡山大学へ進学することになる。
私は、特に頭が良かったわけでもない。
もともと、中学生時代の成績は中の中。
その割には上出来である。
真剣に努力するだけではダメだ。
でも、自ら目標を立てて、
自ら工夫を加えれば、
それなりの結果が出る。
文部両道をしていたからこそ、
このことに気づき、成功体験ができたと思う。
それをしていなかったら、今の自分は無かっただろう。