「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」
この言葉は、天台宗を開いた最澄の言葉です。
実は、この上に別の言葉があります。
「怪寸十枚これ国宝にあらず、一隅を照らす、これすなわち国宝なり」というのが全文だそうです。
「怪寸」とは「金銀財宝」の事を示しています。
つまり、現代語訳にすると、
「金銀財宝は国家の宝ではない。 一隅を照らす、
つまり
自分自身が与えられた場所で努力し、その場を照らす人たち、
その人が国家の宝である。」となります。
この言葉を聞いて、何を感じますか?
最近の日本人は、努力している人に対して、要領が悪い、泥臭いような目で見ている人が多くなってきていると思われます。
とても残念なことです。
このような日本人の価値観の変化が、努力せずに悪い結果が出ても、言い訳をして、正当化する人を増やしているのでしょうか。
また、幼児の時に、何かをしていて嫌になれば、すぐに止めていた人は、要注意です。
このような人は、中学生になって、嫌な勉強する時、色々と言い訳をして、努力をしません。
なぜなら、
彼らは、そのように振る舞うことが正しいと思っているからです。
彼らの立場から考えると、、、、
「確か、幼児の時に、
”好きでないことがあると、辛抱するのではなく、あきらめるものだ”
と学習したよね。」
今では、潜在意識でそのように感じて、判断しているのです。
つまり、
「やりたくないことは、しない。」
このように幼児の頃に教えられていたのです。
しかし、
キャリアの塾生は、
努力することが美しいと思える人になれるよう、私の熱い指導が行われます。
生きる美学を知ってほしいので、、、、
楽しいから、努力をするのではなく、
努力をしてから、楽しさを知ってほしい。
多くの人にとって、掃除は楽しいものではありません。
しかし、
その後、きれいになった周りを見るとどのような気分になりますか?
気持ちいいですよね。
掃除が好きな人は、再度、その気持ちを体験したいから、掃除をします。
このように、
嫌なことをどのようにすれば、嫌でなくなるのか。
それを見つけ出すことも美学の一つです。
目の前にある勉強をコツコツと努力をする。
その後に、素晴らしい結果が得られると、
“一隅を照らす” 努力を積み重ねていく事が最も大切だと分かるでしょう。
もう少し力量があれば、一隅だけでなく、その周囲にいる多くの人を照らすこともできます。
当塾では、そのような人財に育てていきます。
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